社会

人ひとが植うえた美林びりんは、なぜ育そだて方かたがばらばら? — 酒樽さかだる・柱はしら・水害すいがいという3つの理由りゆう

日本にほん三大さんだい美林びりんには、人ひとが植うえて育そだてたほうの3つもあります。吉野よしのスギ(奈良なら県けん)、尾鷲おわせヒノキ(三重みえ県けん)、天竜てんりゅうスギ(静岡しずおか県けん)。あわせて「人工じんこうの三大さんだい美林びりん」とよばれます。

吉野(奈良県)・尾鷲(三重県)・天竜(静岡県)の位置を示す地図

天然てんねんのほうは「どれもゆっくり育そだった」という理由りゆう一ひとつで説明せつめいできましたが、人ひとが植うえた方ほうは理由りゆうがちがいます。それぞれどういった理由りゆうから植林しょくりんされてきたのか見みてみましょう。

どれくらい密集みっしゅうさせて植うえるか

木きを植うえるとき、1ヘクタールに何本なんぼん植うえるかを決きめます。スギやヒノキはだいたい3,000本ぼんが目安めやすです。

ところが3つの美林びりんは、こうなっています。

1ヘクタールあたりに植える本数をくらべた図。吉野と尾鷲は目安の数倍、天竜は目安と同じ

林野庁りんやちょうの資料しりょうでも、天竜てんりゅうは「疎植そしょく」——つまりゆったり植うえるほうに分類ぶんるいされています。吉野よしのや尾鷲おわせとは正反対せいはんたいです。

やり方かたがこれだけちがうのは、何なにのために植うえたかがちがうからです。順じゅんに見みていきます。

吉野よしの — 酒さけの樽たるをつくるため

吉野よしのスギは江戸えど時代じだいから、酒さけの樽たるの材料ざいりょうとして使つかわれてきました。樽たるの側面そくめんに使つかう板いたを「樽丸たるまる」といいます。

樽たるにする板いたには条件じょうけんがあります。節ふしがないこと。まっすぐなこと。年輪ねんりんが細こまかいこと。 節ふしがあればそこから酒さけがもれ、年輪ねんりんがあらければ曲まげたときに割われてしまいます。

そこで吉野よしのでは、このように植うえました。

  1. 密集みっしゅうさせて植うえる(8,000〜12,000本ぼん)
  2. 早はやいうちから何度なんども間引まびく
  3. 80〜100年ねん育そだてる。ふつうの人工じんこうの林はやしは40〜50年ねんで切きるので、倍ばいちかく長ながい

密集みっしゅうさせると、なぜゆっくり育そだつのか

木きが密集みっしゅうすると、1本ぽんが受うけ取とれる日光にっこうも水みずも養分ようぶんも減へります。取とり分ぶんが少すくなければ、太ふとるのがおそくなります。太ふとるのがおそいということは、1年ねんぶんの年輪ねんりんのはばが狭せまいということです。

それに、まわりを木きに囲かこまれていると横よこへ枝えだを広ひろげられないので、幹みきはまっすぐ上うえへ伸のびます。下したのほうの枝えだは日ひが当あたらずに枯かれて落おちるので、節ふしも少すくなくなります。

ただし、密集みっしゅうさせたままでは育そだちが止とまってしまいます。そこで間引まびいて残のこした木きにだけ日ひを当あて、また少すこしずつ太ふとらせる。これを何度なんどもくり返かえして、80年ねん、100年ねんとかけていきます。

天然てんねんの美林びりんでは、寒さむさが木きをゆっくり育そだてていました。吉野よしのがやっているのは、木きの数かずを増ふやして「取とり分ぶんの少すくなさ」を人ひとの手てでつくり出だすことです。原因げんいんはちがっても、起おきていることは同おなじです。

尾鷲おわせ — 雨あめと急きゅうな斜面しゃめんがつくる柱はしら

尾鷲おわせも密集みっしゅうさせて植うえますが、つくるものがちがいます。家いえの柱はしらや工事こうじ用ようの丸太まるたです。密集みっしゅうさせたうえで枝えだを打うち落おとし、節ふしのない柱はしらにしていきます。

尾鷲おわせでおどろくのは、土地とちのほうです。

厳きびしい土地とちなのに、なぜ続つづけられたのか

斜面しゃめんが急きゅうで土つちが薄うすいということは、木きを切きり出だすのも植うえ直なおすのも大変たいへんだということです。それでも尾鷲おわせが林業りんぎょうを続つづけてこられたのは、土地とちの弱点じゃくてんと強つよみを両方りょうほう使つかったからです。

強つよみは雨あめ。温暖おんだんで雨あめが多おおいので、ヒノキがよく育そだちます。弱点じゃくてんの急きゅうな斜面しゃめんは、ワイヤーロープで木きを宙ちゅうづりにして運はこび下おろす「架線かせん」という方法ほうほうで越こえてきました。そして手間てまをかけて枝えだを打うち、節ふしのない質しつの高たかい柱はしらをつくる。

手間てまのかかる山やまで、手間てまに見合みあうものをつくる。 これが続つづけられた理由りゆうです。この積つみ重かさねが認みとめられて、2017年ねんに「日本にほん農業のうぎょう遺産いさん」に登録とうろくされました。

天竜てんりゅう — 木きを売うるためではなく、水みずをとめるため

天竜てんりゅうはなにかを作つくるために木きを植うえたわけではありませんでした。

天竜川てんりゅうがわは昔むかしから何度なんどもあふれて家いえや田畑たはたをのみこむ川かわでした。明治めいじ時代じだい、金原きんぱら明善めいぜんという人ひとが、その原因げんいんは川かわそのものではなく、上流じょうりゅうの山やまがはげていることだと考かんがえました。

木きがない山やまに雨あめが降ふると、水みずは土つちにしみこまずに一気いっきに流ながれ下くだります。土つちも一緒いっしょに流ながれて川底かわぞこに積つもり、川かわはますますあふれやすくなります。

そこで金原きんぱら明善めいぜんは自分じぶんの財産ざいさんをつぎこんで山やまに木きを植うえました。明治めいじ19年ねんから31年ねんにかけて、その広ひろさはおよそ2,000ヘクタール。東京とうきょうドーム400個こぶんをこえる山やまに木きを植うえたことになります。

目的もくてきが「水害すいがいをとめること」なので、密集みっしゅうさせる必要ひつようがありません。山やまが木きでおおわれて水みずをたくわえられれば、それで目的もくてきは達たっせられます。これが、天竜てんりゅうだけ植うえ方かたがちがう理由りゆうです。

そして植うえられた木きがやがて立派りっぱな森もりになり、まわりの人ひとたちも木きを植うえるようになって、いまの天竜てんりゅう美林びりんになりました。

育そだて方かたを決きめていたのは、木きではなく人ひと

並ならべてみると、こうなります。

  何なにのために 植うえる本数ほんすう 育そだてる年数ねんすう
吉野よしの 酒さけの樽たる とても多おおい とても長ながい
尾鷲おわせ 家いえの柱はしら 多おおい ふつう
天竜てんりゅう 水害すいがいをとめる ふつう ふつう

天然てんねんの三大さんだい美林びりんは、寒さむさと時間じかんという自然しぜんの条件じょうけんが3つを似にたすがたに揃そろえていました。人ひとが植うえたほうは逆ぎゃくです。人ひとの事情じじょうがばらばらだったから、やり方かたもばらばらになりました。

「美林びりん」というひとつの言葉ことばでまとめられていても、できた理由りゆうはひとつではない。調しらべてみないと分わからないことでした。

覚おぼえ方かた

たる・はしら・ちすい。

吉野よしのは樽たる(酒樽さかだる)、尾鷲おわせは柱はしら、天竜てんりゅうは治水ちすい(水害すいがいをとめること)。場所ばしょを覚おぼえるより、何なにのために植うえたかを覚おぼえるほうが頭あたまに残のこります。

おもな参考情報