日本三大美林はなぜ「いい木」? — 答えは200年、300年という時間
「日本三大美林」とよばれる森が3つあります。青森ヒバ、秋田スギ、木曽ヒノキ。木の種類はぜんぶちがい、場所も青森県・秋田県・長野県とはなれています。
それなのに、どれも何百年も「いい木」として選ばれてきました。ばらばらの3つに、共通することが一つだけあります。
どれも、とてもゆっくり育った木だということです。
3つに共通するのは「時間」
林野庁(森を管理している国の役所)の説明を並べると、出てくる数字の大きさにおどろきます。
- 青森ヒバ — 暗い林の中で芽を出したヒバは、日の光が届くまでじっと待ちます。1m伸びるのに50年かかるものがあり、小さな稚樹のまま100年生きた例もあるそうです。100年でようやく青年期です。
- 秋田スギ — 天然秋田スギの標準的な樹齢は200〜250年とされています。
- 木曽ヒノキ — 長野県上松町の赤沢で見られるヒノキの森は、樹齢およそ300年です。
人の一生より長い時間が、ふつうに出てきます。
ゆっくり育つと、年輪がつまる
木の切り口に見える年輪は、1年に1本ずつ増えていきます。だから、同じ太さの木が2本あったとき——
- 早く育った木は、1年ぶんの幅が広く、年輪の本数は少ない
- ゆっくり育った木は、1年ぶんの幅が狭く、年輪がびっしりつまる

この「つまっている」ことが、そのまま木材の良さになります。林野庁は青森ヒバを、こう説明しています。
北国の厳しい風雪に耐えながら、長い年月をかけてじっくりと成長したヒバは、緻密で狂いが少なく、木目も細やかで美しい
「狂い」は、木がそったりねじれたりすることです。狂わない木は、柱や板にしたあと形が変わりません。だから長くもたせたい建物や道具に使われます。
- 秋田スギ — 木目が細かく色が美しいので、大館市の「曲げわっぱ」や桶・樽の材料になりました
- 木曽ヒノキ — 伊勢神宮で20年ごとに建物を建てかえる「式年遷宮」の御用材として使われてきました
- 青森ヒバ — ヒノキチオールという成分をふくみ、木をくさらせる菌に強いので、家の土台やまな板に向いています

「三大美林」は誰が決めたのか
気になるのは、誰が3つを選んだのかです。
明治10年代、国がはじめて全国の森を調べました。その報告に、「木曽の扁柏(ヒノキ)、青森の羅漢柏(ヒバ)、秋田の杉」が「我が国最良の森林なりとす」と書かれています。
人気投票でもキャッチコピーでもなく、国が全国を歩いて調べたうえで書きのこした評価でした。
木曽の森は、一度なくなりかけた
ここからが、いちばんおもしろいところです。
木曽のヒノキは平安・鎌倉時代から切り出されていました。ところが江戸時代の前半に切りすぎて、山は「めぼしい樹木が少なくなり大変荒れてしまった」と記録されています。
そこで木曽を治めていた尾張藩は、「木一本、首一つ」とよばれる厳しい保護の決まりを作りました。勝手に木を切れば命にかかわる、という言い方です。ヒノキ・サワラ・アスナロ・ネズコ・コウヤマキの5種類は切ることを禁止され、「木曽五木」とよばれました。
そして時間がたちました。いま赤沢で見られるヒノキが樹齢およそ300年なのは、ちょうどその保護が始まったころに育ちはじめた木だからです。

林野庁は、いまの木曽ヒノキ林をこう説明しています——「いわゆる原生林とは異なる、人為が大きく加わって成立した森林」。
つまり三大美林は、人が手を出さなかったから残った森ではなく、人が守ることに決めたから残った森なのです。
使い切ると、つぎは200年待つことになる
年輪がつまった木は便利です。でも、育つのに200年、300年かかるということは、切ってしまったら、つぎが同じ太さになるまで200年、300年かかるということでもあります。
じっさい、国が売り出していた天然秋田スギの供給は、平成24年度(2012年度)で終わりました。いまは人が植えて育てた秋田スギを、計画を立てて出しています。木曽でも「木曽悠久の森」という取り組みが始まり、人が植えた林を天然の林に戻していく作業が進んでいます。
「いい木」をこれからも使うために、いまは切る量を減らして森を育てる側に力を入れている、ということです。
覚え方
北から順に、ヒバ → スギ → ヒノキ。
青森ヒバ(青森県)→ 秋田スギ(秋田県)→ 木曽ヒノキ(長野県)。地図を上から指でなぞると、県と木が同時に入ります。
そして、理由は3つ覚える必要がありません。どれも「ゆっくり育った」。これ一つで足ります。